○
「わかりました。この時の作者の気持ちは、やっべ! あと四時間で編集さん来ちゃうよ! ですね」
「待て待て待て」
突拍子もない言葉に、私は思わず身を乗り出してしまった。
「現代文の問題でそんな回答あるか」
なんだよ、やっべ! って。私が呆れ気味に言うと、ですが……と和は反論した。
「私が先ほどネットで調べたところ、この作品を書いた時、作者は仕事をたくさん抱えていててんやわんやだったと……」
「文明の利器を使うな。現代文で言うところの作者の気持ちっていうのはそういうのじゃないよ」
使ってるツールは現代っぽいけど、根本的に間違っている。
「では直、ここの回答はどうなるのですか?」
「これはだな……」
放課後、日の暮れる教室で、和と私は自主勉強に取り組んでいた。取り組んでいるのは、主に和だが。
馬鹿みたいな会話をしてはいるが、この和という女は、クラスで学級委員長を務めている真面目人間だ。そんなやつがなぜ、私のようなチャラチャラした女と一緒に勉強しているかと言えば、流れ、みたいなものだ。
ひとりで勉強していてもつまらないので、よろしければお付き合いいただけませんか?
最初のお誘いはそんな理由だった気がする。
その時、私がちょうど手近で、ちょうど暇そうに見えたからの勧誘だろうと想像できたが、まぁいいか、みたいな軽い気持ちで承諾したのが一年生のころだった。
それからは度々、和の勉強会に付き合っていたが、ここ最近は四月から受験生になるということもあってか回数が増え、放課後は二人で一緒にいるのが当たり前になっていた。
他のクラスメイトは、大学受験というイベントに憂鬱そうだが、真面目な和は割と気合が入っているみたいだ。むしろ楽しそう。
……さっきの回答を聞くに、気合の入れ方を間違っているような気もするが。
そんな流れ、で、今日も教室に二人だけ。今の教科は現代文。
「……となるんだよ。わかった?」
ひととおり問題の解説が終わったので、私が和に確認を取ると……。
「ならないですよね?」
一刀両断な返答がきた。
「ならねぇよなー」
それに私も同意しながら、でもこれが答えなんだよー、と気だるげにのけぞった。
現代文に限らず、感情を読み取るような問題の中にはたまに、どう考えても絶対違うだろう、って回答を選択しなければならない時があるように思う。今回の問題はそういうやつだった。
和も同じ考えのようで、何度やってもこういうのはよくわかりませんね、と呟いた。
「本当に回答で書かれているようなことを、作者は考えているのでしょうか?」
「さぁねー。それは本人のみぞ知る、だよ」
「しかしですね、直。実際のところは作者自身、よくわかっていないこともあると思いますよ」
「例えば?」
「実は、来るまで四時間じゃなくて三時間だった」
「さらにピンチ!」
つい身体を起こしてツッコんでしまった。私の解説でてんやわんや説はなくなったはずでは……でも一時間の差はでかいな。
いや、そうじゃなくて。
「それは問題に関係ないって」
「割といい線いってるな、と思っていたのですが」
……もしそれが本気なら私、帰るぞ。
「そうは言っても、直。この問題の答えを私たちが理解できないように、他人の感情を読み解くというのは難しいことなのですよ」
「んー。まーそうか?」
「単純な直には無縁かもしれませんが」
「なんだ? 戦か?」
臨戦態勢に入った私を尻目に和は、また……と続ける。
「他人の感情を読み解くことと同じくらい、自分の感情を誰かに伝える、ということも難しいと思います」
○
これまでのふわっとしたテンションとは違い、和は真剣な面持ちだった。真面目モードだ。
「どういうこと?」
「そうですね……あ、直もご存じのとおり、私は学級委員長という役職に不満を抱いていますよね?」
「よね? って。初耳だぞ」
真剣ってなんだっけ。ご存じしてないし。
っていうか……そうなのか?
和とは高校からの付き合いだが、聞くところによると中学時代も学級委員長を務めていたらしく、しかも、一年生の時からという話なので、なかなかのキャリアを持っている。
この学校でも、貫禄のある仕事ぶりから、生粋の委員長キャラってイメージがついているが、どうやら当人はあまり好みじゃないらしい。
「なんで不満?」
「だって、クラスメイトと同じタイミングで教室を出たり、起立の号令で立ち上がってみたりができないじゃないですか」
「え。そこなの?」
意外なところから来たな。
「ってか、移動の時は私いるじゃん」
「直の身体だけでは満足できません」
「その言い方やめろ」
不満の意味が違ってくるぞ……。あと、くねくねしながら言うな。
「それに、クラスメイトから名前で呼ばれません」
「ん?」
ちょっとツッコミ疲れてきた私だったが、和の発した言葉のトーンが、今までとは明らかに違うことくらい、すぐにわかった。
「……あぁ、そうか。委員長は委員長が名前、だもんな」
「はい。直の想像しているとおりです」
人間は、役職がつくとその名前で呼ばれる生き物だ。
社長は社長、部長は部長、みたいに。
そう考えると、クラスメイトが名前で親しく呼び合う中、自分一人だけが、委員長。
役職。
これだと、いくら親しかろうが少し距離があるように感じるかもしれない。
私がそうなったら……多分楽しくない。
ましてや、委員長号令! なんて命令みたいなこと、絶対嫌だと思う。
「これ、地味にショックなのですよ。委員長あるあるです」
人差し指を立てながら和が言う。こういうところが委員長っぽくもあるんだけど。今は言わないでおこう。
「ですから本当は、学年が変わるごとに委員長なんて辞めたい、と考えていたのです」
「辞めたらよかったんじゃないの?」
「そうしたいのは山々だったのですが、委員長はこいつでいいだろう、のようなイメージついてしまっているので、どう切り出せば良いかわからなくて……」
和はうつむいてしまった。
性格からか、和は他人を気遣いすぎるところがあるように思う。私に対しては気遣い皆無だが。
最終的に和が請け負うような決め事だって、自分の意見を後回しにすることが多い。
誰かのために考えて、誰かのために動く、そういう真面目なやつだ。
真面目だから、生きにくい。
物事を大雑把に考えるような私には、確かにこんな悩みは無縁なことかもしれない。
「直にならこういうふうに話せますのに」
和が小さく言った。
「……私には結構、てきとーに喋ってるからな」
「直は……私がどんなことを言っても大丈夫そうですし」
「さっきの単純ってやつに繋げてきてるのかな?」
「そこはまぁ、大前提として」
「おい」
大雑把でも傷つく時は傷つくぞ。
「直は、いい人ですから」
「ん?」
また何かツッコませるための前振りか? と身構えていたが、どうやら昔話の前振りだったらしく……。
「直、初めて私と話した時のこと、覚えていますか?」
と、尋ねてきた。
○
初めて話した時、か……。
「一年の七月だろ? 確か、私が珍しくプリント忘れてて……」
「そうです。私が受け取りに行ったのです」
ここで説明しておくと、私はなんだかんだ、忘れ物はしないタイプだ。これは和もお墨付き。
でも一年生の時、一度だけプリントを一枚、うっかり出し忘れたことがあった。そのプリントを和が取りに来た時、和と私は初めて会話した。
「正直私、当時は直のこと、怖かったのですよ」
「ん?」
そうなの?
「なんで?」
「だって、見た目がギャルじゃないですか」
……そこまでギャルじゃないと思うんだけどな。
そりゃあ、制服は堅っ苦しいから着崩すし、スカートは折りまくってるし、耳にピアスも二、三個はつけてるけど、別段そこまでチャラくないだろう。
……チャラくないよね?
「ただでさえ話の切り出し方で悩むのに、他の生徒とは別次元のあなたにどう話しかけるか、考えあぐねたものです」
「別次元て。そこまでか」
「借金取り立てられたらどうしよう、とか」
「もっとしっかり考えろよ」
ほぼ初対面の私に借金いつ作ったんだよ。前世か?
「ですがそんな心配、必要なかったとすぐわかりました」
「まぁ、借金の心配はな。どの辺で?」
「直はあの時」
え、嘘。……マジだ! ごめん、和!
「って、私のことを名前で呼んだのですよ」
……確かに、そう言って謝った気がする。
それが……いい人?
「普通、馴れ馴れしいって思うところじゃね?」
「少しびっくりはしましたが、なんというかこう、呼ばれ慣れていなかったので、嬉しくて……」
恥ずかしげに顔をそらしながら答える和。
嬉しくて、か。
名前で呼ぶ、なんてそれほど大したものじゃないことでも、さっきの話を聞く限り、和にとってはサプライズみたいなものだったのかもしれない。
「それに、一度も話したことがないのに名前を憶えているなんて、この人はいい人だろうなって」
……それは。
この高校に入学して、クラスが決まった時、もうすでに学級委員長は決定していた。
先生の紹介を受け、任命された生徒が、クラスメイトに挨拶する。
櫻井和です。これから一年間、学級委員長として、皆さまを引っ張っていけるよう、努めて参ります。
決意表明を凛と語る姿を見て、私は素直に……。
和って名前、似合ってるな。
そう思った。だから、覚えていたんだ。
「……いい人ねぇ」
まぁ恐らく、あの挨拶も本当は嫌々だったんだろうけど。
でも、あのときの言葉は、嘘じゃなくて本心だって、わかる。
本心じゃなければ、あんなにしゃんと言えるはずがない。
「いい人ですよ。初めて話したあの日から、私にとって直はいい人、特別な人です」
今、自分が特別扱いされていることを悩んでいるやつが言うってことは、よっぽと印象的な出来事として記憶されているみたいだ。
「ですから本当のところ、直を初めて勉強に誘った際、ひとりじゃつまらないので、とお誘いしましたが、半分くらいは嘘でお話がしたかったのです」
「へー。そうだったんだ」
お話、か。
打ち解けてからは私に厳しい和だが、最初は結構ドキドキしていたのだろうか。私に対してちょっとくらいは配慮というものがあって……。
「あと、他にも理由がありましたし」
「ん? なに?」
「このギャル、私よりも勉強ができるじゃねぇか。隙見て絶対蹴落としてやる」
「恐ぇな!」
遠慮のかけらもねぇ。くそぅ、人間の根幹は変わらないのか。だとしたら悲しいぞこれは。
悲しみに暮れる私に、冗談ですよと和が言ってきたが、蹴落としてやる、の目が割と本気だったので安心はできない。
……でも。
安心はできないけどひとつだけ、和に伝えたいことがあった。
○
「和、簡単だよ」
「え? 蹴落とすことがですか?」
「蹴落とされても這い上がってやるよ」
っていうか蹴落とすな。
「では、何のことですか?」
「さっき言ってた、自分の感情を伝えるってやつ。一年の時にやった学級委員長挨拶みたいにさ、思ったままをストレートに言えばいいんだよ」
私は伝えたいことを、伝えたいまま口にした。
「ストレート、ですか」
「そうそうストレート。直球ど真ん中。和は深く考えすぎなんだよ。みんな、考えてることは結構単純だぞ。お腹すいたーとか、ねみーとか。それこそ、締切やべぇ、とかね」
私だって、いい人って言われて普通に喜んでしまう単純な人間だ。いくら私が、和曰く別次元でも、この辺については他のクラスメイトも大きくは違わないだろう。
人間の根幹は変わらないっぽいし。
「だから、嫌な時もそう言えばいいよ。嫌なものは嫌だ、ってさ」
「嫌なものは嫌……」
「そんでもって、委員長を辞めて、普通の女の子に戻ります! って言え」
「私のことは嫌いになっても、元委員長のことは嫌いにならないでください! ですか」
「……それ、自分のことじゃね?」
「この場合の委員長とは、概念ですよ」
「え。強そう」
概念というより偶像な気はするが。会いに行ける委員長。
「……ストレートに伝えて、それでも伝わらない場合はどうしたら良いですか?」
「ま、そん時は実力行使だね」
「強引ですね」
「和はそれくらいの勢い、あった方がいいよ」
っていうか、もう結構勢いあるぞ。私を蹴落とそうとしてるくらいだし。
でしたら直……と、和はそのあとも、私に色々と質問を投げかけてきた。私はそれにひとつひとつ答えていった。
しばらくすると和は、ありがとう直、参考にします。と、私からの提案を好意的に受け入れてくれたようだった。
まぁ元から、柔軟な考え方のできるやつだからな。
でないと、あんなにボケてこないって。
「参考にしてみて、三年ではどうするか考えます。まぁ、委員長も悪いことばかりではありませんし」
「……内申点とか言うなよ」
「移動教室で遅れても、戸締まりで仕方なかった、ということにできます」
「地味だ!」
さっきクラスメイトと一緒に教室出たいって言ってたはずでは。っていうか、和が遅れる場合、私も一緒に遅れるってことだぞ。私だけ遅刻じゃん!
○
「ところで直」
遅刻の恐怖に震える私に、和が問いかけてきた。
「再度確認なのですが、嫌なものは嫌、とストレートに言えば良いのですね?」
「そうだね、ヤダヤダ言っちゃえ」
「では反対に、好きなものにはストレートに、好き、と言えば良いのですか?」
「ん? まぁそうだね、好き好き言っちゃえ」
丁寧な確認に私がそう答えると、でしたら直、と私を見つめた和は……。
「私、あなたのことが好きですよ」
と、早速ストレートな言葉を投げかけてきた。
おぉ、なるほど。早くも実践ということか。
遠慮しがちな和にしては、とても良い心がけだと思う。
これは私も、ストレートに気持ちを伝えるべきだろう。
「ありがと。私も和が好きだよ」
我ながら、なかなか爽やかに返せたと思う。やっぱり真っ直ぐな言葉というのは気持ちがいい。
……と、爽やかさを実感している私とは反対に、和は表情が曇っていた。
こう、ぷくーっ、みたいな擬音が横についてそうな顔だ……というより怒ってる?
「な……なんすか和さん」
私がそう言うと和は、嘘をつきましたね、と私に詰め寄りながら言った。
顔近っ。
「な、なにが?」
「ストレートに言っても伝わっていないじゃないですか」
いつになく真剣な表情だった。これが和の真剣か。
っていうか本当に近い……いい匂いする。
「あ、あの」
「この場合は……実力行使、ですよね?」
そう言って、和はさらに顔を近づけた。
と言うより距離が無くなって、和の唇が、私の唇に重なった。
……完全に不意を突かれてしまった。
私、全然臨戦態勢じゃなかった。顔も両手でがっちり固定されてるし……力強ぇな。
じゃなくって、えーっと……何と言ったらいいんだろうこういう状況。
こんな、漫画やドラマで見るみたいな……えっと、夕日の差し込む教室で……その……キス、とか、実際のところ……柔らかい?
……今のは空間のこと。感触じゃなくて。
そうじゃなくってえぇっと……ふわふわする?
……今のも空間のこと。そりゃあ、密着している和の身体は、暖かくて柔らかくて気持ちいいけど……いや、だから違うって。
えーっと。
……。
私も、和のこと言えないな。
自分の気持ちをどう表現したらいいかどうかわからない。
これじゃ、テストで三角も貰えないぞ。
○
そんなこんなで気づけば、和は詰め寄ってきたくらいの距離に戻り、私を見つめる体勢になっていた。少し潤んだ瞳が妙に艶っぽい。
しばらくの沈黙のあと、失礼しました、と和は小さく言い……。
「この状況を表す場合は、論より証拠、で合っていますか?」
と、指先で唇をなぞりながら続けた。
まだ頭が混乱しているのか、私もつい同じ動作をしてしまった。
「いや、違うと思うぞ……」
証拠は残ってない。知ってるのは、和と私だけ、だし。
「では、筆舌にしがたい何か、でどうですか?」
「あぁ、そんな感じかな……」
さっき私が考えていたみたいに、今の状況に対する感想で、和も困っているようだった。
まぁ……思いっきり舌で語ってたけど……。っていうか手慣れていたような気がするんですが……。
「それで、直の感想はいかがですか?」
「え。筆舌にしがたいって今……」
「先ほどの行為について、自分はどう思ったかを簡潔に述べよ?」
「なぜ問題風……」
私に対しては前から強気だったけど、更に拍車がかかっている。
ストレート、なんて余計な知恵を与えてしまったかもしれない。
……でもまぁ。悪くは、ないと思う。
ちゃんと和の感情、わかったような気がするし。言葉じゃなくて肉体言語だったけど。
……しかし、どう回答したものだろうか。
私が粋な回答を目指し、あぁでもない、こうでもないと脳内会議を開いていたら、なるほど……と和が手を打った。
「こういった気持ちを表現するために、感情を読み取る力や文章力が必要なのですね」
「おん?」
脈絡のない発言に、変な声が出てしまった。
どうした急に。
「和は自らの唇を直の唇にそっと寄せた。最初は壁があるかのようにぎこちない二人だったが、溶け合う口先は徐々に境界を無くしていった。境界が消えた今、お互いを貪るかのように更に奥深くへと……」
「待て待て待て」
私は身を乗り出した。本当に急に何を言い出すのだこの女……そこまでいってないし。
「あんた……バカじゃないの?」
私が罵ると、和はこんな風に返してきた。
「ストレート、ですね」
おわり
エイプリルフール企画で描いたショートな文章です。初回掲載時は名前を間違っていたり散々でしたが、 正直なところイラストやデザインよりも手鞠鈴の様々な要素が詰まっていると思います。
2017-04-01
オリジナル